どうも、奈月です☽
本日は、大好評『神田が行く!』第十二回!
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『神田が行く!』とは・・
SIGHTS KYOTOのマネージャーかんちゃんが、SIGHTSに関わる京都の方や企業さんを訪れて実際に体験し、お話を伺うことで”理解を深めよう!”という企画です。
SIGHTS KYOTOのバーや物販では、京都の素晴らしい商品を使わせていただいています。ですが!まずはSIGHTSの顔であるかんちゃんが勉強しないことには、お客様にもその魅力をしっかりお伝えできません。。
だから神田は行くんです!どこまででも!
時には京都の外にまで出て行ってしまうかも…?
体験者かんちゃん、ライター奈月、ボイスレコーダー西澤の3名体制でお送りします!
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今回訪れたのは、京都で創業190年!眠りにこだわりつづける、高級寝具メーカーの株式会社イワタさん。
ここ数カ月ずっと、「あの方のお話が聞きたいです!!」とかんちゃんが熱弁していたのがこちらの代表取締役社長 岩田 有史さんなんです。
私たちの運営する宿泊施設【KYOMACHIYA-SUITE RIKYU】も、寝具はベッドから枕まですべてIWATA。
寝心地がいいだけでなく、翌朝起きたときの目覚めが最高…。ぐっすり眠れすぎるので、チェックアウト時間ギリギリになるお客様も多数いらっしゃるぐらいです。(笑)
そんなIWATAの寝具に込められた、岩田さんの想いとは。
かんちゃんがずっと聞きたかった、岩田さんの突き抜けた思考を余すところなく覗かせていただきましょう!
神田、寝る
どどーん。
かんちゃんが、ついにIWATAに上陸です。
「一度寝てみたかった!」というIWATAさんの傑作【人類進化ベッド】にとりあえず寝転ばせていただきました。
かんちゃん 「これ、最高です…。私、横向いて寝る派なんですよ。」
実は道産子!?岩田社長の知られざる生い立ち
かんちゃん 「本日はよろしくお願いします!念願叶っての、岩田さんへのインタビューです。いろいろと他のインタビューや記事をリサーチしてから参りました。」
岩田さん 「本当ですか!?やばいですね…過去の悪行が…。(笑)」
かんちゃん 「いやいや!それがですね、岩田さんのパーソナルな部分について書かれているものがほとんどなかったんですよ。なので、まずはご年齢や生い立ちからお伺いしたいんです。」
岩田さん 「僕は1959年生まれで今年64歳になります。生まれは札幌。実は道産子なんですよ。」
かんちゃん 「え~!!まさかの道産子なんですか!?」
岩田さん 「と言っても、札幌にいたのは生まれて2か月間ぐらい。当時、父が修業に行っていた会社の赴任先が北海道だったのでそこで生まれたのですが、父だけ単身赴任で残る形で母と僕はすぐに京都へ戻ってきたんです。母は札幌で子育てするのがしんどかったのかな。(笑) 本能寺の中の1つの塔頭に母方の祖父が務めていたので、しばらくは親戚たちと一緒に本能寺で暮らしていたと思います。」
かんちゃん 「本能寺!?おじいさんはお坊さんだったんですか?」
岩田さん 「そうです。本能寺は大本山で、地域の寺のお坊さんが各塔頭をお守りしていました。母方の祖父は兵庫県の淡路島出身なのですが、本能寺の塔頭で住職をしていたんです。」
かんちゃん 「それから学生時代もずっと京都ですか?」
岩田さん 「幼稚園から高校生までは、京都と大阪の間に両親と一緒に住みながら東山中学・高校まで通っていました。大学は京都産業大学で、卒業してから10カ月はイギリスをプラっとしていましたね。」
かんちゃん 「え!なにプラですか?」
岩田さん 「このあと家業を継がないといけなかったから、それまでの執行猶予的な…。(笑)」
かんちゃん 「どんな期間ですか!(笑) イギリスを選んだのにはなにか理由があったんですか?」
岩田さん 「20歳のとき、1カ月ぐらいアメリカのカリフォルニアにいたんです。それはそれで楽しくて西海岸のエネルギッシュな感じとか自由な発想もよく分かるんだけれども、『もっと歴史に根付いた深いところで暮らしてみたらどうなのかな…』と思ったんです。でもフランスやドイツは言語のハードルが高いし、じゃあ英語圏のイギリスかなと。」
かんちゃん 「イギリスではどんな生活をされていたんですか?」
岩田さん 「2か所でホームステイをしました。最初はおばあちゃんの家で2人暮らししていたんですけど、『あんまりおもしろくないな。』と思って子どもが3人いる家に一度引っ越しました。(笑) イギリスはロンドンの街を歩いて建物を見ているだけでも歴史を感じる場所。ミュージカルとか美術館とか…とにかく“本物”がいっぱいあったので、分からないながらに足を運んでいました。海外での経験は、外に出ていくことの恐怖心がなくなるキッカケになりましたね。」
かんちゃん 「そして帰国後、1983年に株式会社イワタさんに入社された、と。」
岩田さん 「ピンポン!正解!ちょうど40年前ですね。」
かんちゃん 「先ほど“執行猶予的な”というお言葉がありましたが…(笑)、おじいさん、お父さん、と家業をされていて『あ~次は自分か。』という継ぐ覚悟とか圧というのは…やっぱりあるものなんですか?」
岩田さん 「圧…あるよね。(笑) 小さいときから、なんとなくだけど。羽毛の洗浄は台湾の技術が優れていてうちもそこから仕入れていたんですけど、いま思えば中学のときからよく台湾に連れていかれていたんです。なんか知らないおじさんたちと円卓囲んで食事したり、羽毛の工場に行ったりね。(笑) 工場の社長家族と一緒に台湾内を旅行したり、向こうもうちに遊びに来たりもしていましたよ。」
かんちゃん 「へぇ~おもしろい!!そうやって気づかぬうちに意識させられていたんですね。(笑)」
岩田さん 「でもその頃、自分はお坊さんになりたかったんですよ。さっき話したように母方の祖父が住職。そして東山中学・高校で仏教の成績はずっと5だったので。(笑)」
『いい寝具とは?』から『よく眠れる寝具とは?』に問いが変わった
かんちゃん 「あるインタビュー記事で拝見したんですが、1988年から“寝具”ではなく“睡眠”の勉強を始められたんですよね?それもある新入社員の方の一言がキッカケで…。」
岩田さん 「よく見てますね!入社1、2年目の受付の女性だったんですけど、その方から『今年は新作ないんですね。』と言われたんです。『え、どういう意味?』と聞き返したら、『柄が変わっているだけで、“新商品”ではないんですね。“眠り”に対する新しい機能みたいなものはないんですか?』って言われて、ドキッ!!たしかに!!とハッとしたんです。本人はなにも深く考えず、素で言ったと思うんですけどね。たしかに柄が新しくなったって、お客様にとっては旧柄とどちらが新しいものか分からないですよね。」
かんちゃん 「なにげない一言ですけど、いま思うとすごい影響力ですよね。結果として岩田さんはそこから眠りの勉強をされて、書籍を出したり、コラムを書いたりされていますし。『上質な寝具をつくろう』とは前から思われていたと思いますが、睡眠の知識を得てレベルアップされた岩田さんはその後、寝具に対してどのような考え方になったんですか?」
岩田さん 「それまでは『衛生的で快適な羽毛布団をつくろう!』とずっと思っていました。だけど、寝具というのは“眠るための道具”。ならば『よく眠れる寝具に仕立てていかないと!』と思ったんです。いい糸、綿、羽毛を使って“いい布団”って言っていましたが、『それが本当によく眠れるのか?』と考えるとそれは違う、と。『いい寝具とは?』から『よく眠れる寝具とは?』に問いが変わったんです。問いが変わると、目指す方向性も変わる。そこからが新たなスタートでしたね。」
かんちゃん 「はぁ~…。40年間ずっと、常に寝具や眠りに対して向き合ってこられ、学び続け、その分野の第一線で活躍されている岩田さんの原動力やモチベーションはどこにあるんですか?家に帰ったらビール!!とかそういうのはあるんですか?(笑)」
岩田さん 「いや~お酒飲まないし、そういうのはないなぁ。(笑) いま会社のパーパスのところにも書いている『天人合一(てんじんごういつ)』という中国の古い言葉があるんですが、それってどうやったら実現できるだろう…というところにいまは興味があって、なにができるかなと常々考えています。“天”は宇宙。つまり、自然と人はひとつながり。その言葉や思想を睡眠と照らし合わせてどう理解するかって考えると、身体の中のリズムと宇宙のリズムを同調させることなのかなと僕の中では行きついたんです。身体の中のリズムは、たとえば心拍、脳波、呼吸、月の周期で言うと女性のホルモンも。だから1つは、そういう身体のリズムを自然のリズムに合わせていく。それを最終的には睡眠を通して実現してもらいたいなと思っています。もう1つはもう少し広げて考えて、ものづくりにおいても宇宙と人のリズムが合っていないからいろんなものを大量につくっては捨てて、CO2が…という話になっていますよね。そのバランスを、企業活動でどうとっていけばいいのか…そういうことを考えるのがいまのモチベーションですかね。」
かんちゃん 「いや~…やっぱり岩田さん、すごいです。そんなこと、全然考えたことなかったです。」
できるだけ、与えられた土俵では相撲をとってみる
かんちゃん 「少し話を戻して、1988年に睡眠の勉強を始められた頃のことを伺いたいのですが。私の感覚で言うと、ものごころついたときにはすでに睡眠と寝具はセットというのがあたりまえになっていた気がするんです。布団屋さんには睡眠のプロがいて、その方が相談に乗ってくれるイメージ。でも実際は岩田さんがそのパイオニアじゃないですか。岩田さんが睡眠と寝具をセットで考え出した頃、周りの反応はどんな感じだったんですか?」
岩田さん 「そりゃぁ社内でも社外でも『なにを言うてはるんですか?』みたいな空気でした。自分の中では睡眠と寝具に問いを立てていましたが、まだ世の中は毎年、新作発表会で新しい柄を出していた時代。そんな中、まずは睡眠というものを『寝るための道具として一番の目的にするべきだ。』ということをどうやって知らしめるか。どんな仕組みをつくるか。それが若い頃の自分の関心・興味でモチベーションでしたね。ある先生から、睡眠学会に入って勉強したらと紹介してもらい入会したんですが、懇親会に行っても不眠治療の医者、脳科学や専門分野の学者ばかり。最初は名刺を配っても、『なんでこんなところに布団屋がいるの?なにしに来たの?』と言われました。睡眠と寝具は、全然つながっていなかったんですよね。」
かんちゃん 「そんな状況からのスタートだったんですね…。そこから睡眠と寝具がセットだと浸透させるために、どんなことを大切にして行動されていたんですか?」
岩田さん 「いろいろ活動していると、いろんな方面から『乗ってみない?』と土俵が与えられるんです。そういうときは『できるだけ、与えられた土俵では相撲をとってみよう!』という意識を持っていました。たとえば、それまでまったく物書きをしていなかったんですが、あるとき新聞社から『眠りの話でコラム書いてみませんか?』と言われて、土俵に乗ってみようと書き始めたんです。とりあえず2週に1回を半年…と思って始めたのにそれが14年。それを見た出版社がまた声をかけてくれて、本を出すことになったんです。」
かんちゃん 「そういう流れだったんですね!コラムも300回以上、本も数冊出されているので、元々興味があったのかと思っていました。与えられた土俵に乗ってみる…深いですね。」
岩田さん 「いつも完璧な設計図があるわけではないけど、進むべき方向・ベクトル、その先のビジョンは決まっているんです。そこに向かって進んでいく中で、その延長線上にいろんな出会いがでてきますからね。」
そぎ落とした先にある真髄こそ、京都の美学
かんちゃん 「こんなところが京都っておもろいな、京都らしいな、と感じることはありますか?」
岩田さん 「そうやねぇ。京都の美学としては、どれだけそぎ落としていけるかというのが真髄だと思います。余計なものをそぎ落とした先に残るもの。布団で言うと、何種類も花柄をつくって何色も展開して…ってしていたけど『いや、そうちゃうやん。』とそぎ落としていったらいまの状況になった。余計なものをそいでいったら実はなにも残らない、みたいなこともあるかもしれません。」
かんちゃん 「はぁ~…たしかに。」
岩田さん 「京都らしさで言うと、東京の方にこう言われたことがあります。京都人が京都の中で『これが研ぎ澄まされた京都や!』とやっていても、それは東京人には分からない。京都人の考える京都はちょっと暑苦しくて受け入れられない。その言葉を受けて、その間になにがあるのかと考えるようになりました。“東京人が憧れる京都”と“京都人が研ぎ澄ました感覚で求めている京都”、その間ってどの辺かなと。」
かんちゃん 「なるほど…その“間”という感覚がイワタさんを表している気がします。」
岩田さん 「そうですね。なんとなく、うちの商品、パンフレットやブランディングにも出ていると思います。」
かんちゃん 「イワタさんの紹介では必ずと言っていいほど“京都の老舗寝具”と書かれているし実際に創業190年なんですけど、私自身の印象は違うんです。この仕事をしていると古風な京都らしさを感じるところのお話も伺うんですけど、イワタさんからは京都らしさや老舗感をいい意味であまり感じない。その感覚が先ほどの“間”のお話ですごく腑に落ちました。東京や海外の企業だと言われても違和感がないぐらい、デザインもいい意味で京都らしくないですもんね。」
岩田さん 「マインドは間違いなく京都なんだけど、表現や見せ方は“間”ぐらいで…と思っていますね。」
岩田さん的“持続可能”は次世代へのお詫び!?
かんちゃん 「弊社もイワタさんも含め、最近は“持続可能”というワードをよく耳にします。私自身はニシザワステイに入社してから初めてそういうことを意識するようになったんです。先日、うちの代表 徹生さんに『持続可能とは?』と聞くと『みんながハッピーであること』という答えが返ってきました。それぞれの業種や企業によってその表現方法は違うだろうなと思うのですが、岩田さんにとっての持続可能とは、ズバリなんでしょうか?」
岩田さん 「僕にとっては…次世代へのお詫びなんですよ。」
かんちゃん 「お詫びですか!?」
岩田さん 「地球掘り起こして、大量につくりまくって、必要なくなったら放り投げて…って悪行三昧していた僕たちの世代のせいで…ごめんねという気持ちです。いまの若い人たちは子どもの頃からサステナビリティとか教えられて、子ども的にはそれが普通になっているけどそれって大人がつくった仕組みにはめられているんですよね。自分たちはやりたい放題しておいて、『環境のためにこんなことしないといけないよ。』とSDGsみたいな教育をするのって…仕組みだけつくって若い世代にやらせるというのは、どうなのと思います。だから僕は僕ができることをやって、ちょっとでも発信していこう、と。」
かんちゃん 「え~…こんなことおっしゃる方、他で聞いたことがないですよ。なんか…すごく尊敬します。ごめんなさい、言葉にするとすごくチープになっちゃうんですけど。(笑) では最後に…イワタさんという会社ではなく、岩田さん個人の今後の目標があれば教えてください!」
岩田さん 「あの~実は去年からジャズギターを始めたんですよ。」
かんちゃん 「え!ジャズギターですか!?今度SIGHTSに弾きにきてくださいよ!」
岩田さん 「いやいや、まだ1年経っていないのに!(笑) 70歳ぐらいにはちゃんと弾けるようになっているかなぁ。老人ホームに入ったら、みんなに聴かせてあげようかなと。(笑) 最近は晩ご飯のあと寝るまでの間、1日の終わりにギターを弾いたり…そんなことをしています。いまの個人的な目標でいうと、ギターが上手くなりたいかな。」
かんちゃん 「かっこいい~!!いや~これはぜひ、SIGHTSで発表会しましょう!」
岩田さん 「ん~3年後ぐらいかな。1曲ぐらいはできるようになっているかも。」
かんちゃん 「いや、3年でやっと1曲は少なくないですか!?(笑)」
京都の街並みについて、「京都は高い建物がないから、特にこの三条辺りは路面に世界的なブランドと京都の老舗店がごちゃまぜに混在しているのがおもしろいなぁと常々思う。これは京都ならではですよね。」とおっしゃっていた岩田さん。たしかにイワタさんのこちらの店舗も路面でガラス張り。街を歩きながらポールスミスなどの有名ブランドから、チョコレート屋さん、そこに1軒しかない京都のお店を楽しめるのはたしかに京都特有かも…と初めての視点を最後まで見せていただいた今回の【神田が行く!】。
念願叶っての岩田さんへのインタビューでしたが、かんちゃんはなにを感じたのでしょうか。
では、最後にかんちゃんの感想を聞いてみましょう。
『待ちに待った岩田さんへのインタビュー!
実は岩田さんとは2回程しかお会いしたことがなかったんですが、初めてお会いした時から「なんかこの人、目がキラキラしてるんよな~。どんなことを考えて生きてるんやろう?」とずっと気になっていた方なんです。なのでいつも以上に、神田の真面目モードが発揮されております。(笑)
インタビューが終わった後は充実感に溢れていて、どの質問に対しても「そんな考え方があったか…すごっ!」と発見と学びが盛り沢山。めちゃくちゃ濃い時間を過ごさせていただきました。
“進むべき方向・ベクトル、その先のビジョンは決まっている”という言葉と、持続可能に対する考え方が特に印象的で、どうやったらそんな考えに行きつくのか?岩田さん自身をより研究してみたくなりました。(笑)
岩田さんがご自身の中にインプットされたものが、今後IWATAで素晴らしい形となって発信されていくことがより楽しみになりました。
岩田さん、IWATAの皆さま、今回は本当にありがとうございました!!!』
IWATA
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