SIGHTS KYOTOコワーキングスペースの契約企業のメンバーやニシザワステイの取引先、SIGHTSに関わる方々に向けてお届けするビジネス対談企画「SIGHTSNESS」第2弾。今回は、文化支援を通じて地域社会の活性化を目指す山本陽平氏と、SIGHTS KYOTO代表・西澤徹生が深掘りトークを展開します。文化を守るためのビジネス戦略、そして継承のあり方に迫ります。
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▼あっぱれ
祭りや郷土芸能などの無形文化財から寺社仏閣などの有形文化財まで、長年にわたり受け継がれてきた地域を代表する伝統文化を活用した観光コンテンツの企画プロデュース、販路開拓、プロモーション、運営サポート、事業計画策定まで伴走支援を行う。
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Contents
文化支援の原点はバックパッカー時代の衝撃体験
徹生:山本さん、今回はお忙しいところありがとうございます!まず、山本さんが文化支援に携わることに至ったルーツを教えてください。
山本さん:こちらこそありがとうございます!ちょっと長くなりますが、大学で国際関係を学びたくて立命館大学に進学したんですが、周囲が英語ペラペラで、僕だけが全然だめで「これはヤバい」と思って海外バックパッカーを始めたのがきっかけです。大学入学後に海外で衝撃的な体験をしたことがきっかけで、国際協力に興味を持ち始め、徐々に文化への関心へつながっていきました。
徹生:どんな経験だったんですか?
山本さん:カンボジアの路上で、子どもの物乞いに出会ったんです。どうすればいいのかわからなくて、1ドルを渡すのは違うなと代わりに持っていたアメをあげたんです。でも、現地の人から「その子たちは歯を磨く習慣がないから、アメは逆効果。虫歯を促すことになる」って怒られてしまった。“良かれと思った行為”が、相手のためにならないことがあるんだと、痛感しました。 それから国際協力に関心を持ち、フィリピンのゴミ山やモンゴルの孤児院での支援活動、アメリカへの留学などをしました。途上国支援として、通信関係のインフラに関わりたいと思い、通信インフラを手がけるNTT東日本に入社しました。
徹生:その後、NTT東日本に就職して企業経験を積んでこられましたが、どんな風に考えが変わっていったんですか?
山本さん:NTT東日本ではいくつかの部署を経験した後に国際展開をしている部署に異動させてもらえ、ブータンやミャンマーなどの国際プロジェクトに関わるなどやりがいのある仕事にも携わりました。ですが、もともと各地の文化に触れることが好きで、特にお祭りに興味があり、NTTが関わっているような各地祭りや出張先やプライベートも含めて積極的にお祭りに参加をしていくようなったんです。
徹生:それが「オマツリジャパン」につながったんですね。
山本さん:はい。最初は社会人でのお祭りに行ってちょっとしたお困りごとを支援するサークルのような形で何人かで始めました。活動を続けるにつれ、お祭りがボランティアで運営が成り立っていて、地域が衰退していく中で、本当に”ヒト・モノ・カネ”が足りないと痛感し、専門的な支援の必要性を感じました。そこで、2017年ごろから本格的にビジネス化に舵を切り、インバウンド向けの観光コンテンツ企画や、企業とタイアップしたプロモーション、コンテンツの企画・制作をすることになりました。
徹生:ITからお祭りというフィールドの変化のなかで、価値観は変わりましたか?
山本さん:一見違うように見えますが、抱えている問題の構造がよく似ているんです。例えば途上国に多額の金銭的な支援をしても貧困解消に至らない問題がありましたが、例として魚(金銭)だけを提供するのではなく、魚(金銭)の釣り方(稼ぎ方)を伝えないといけないというような具合です。これは極端な例ではありますが、海外での国際協力だけでなく、日本の地域活性化も同じだと思います。ただ伝統文化には、国際協力のように赤十字や国連などといった中心的で大きなプレイヤーはいません。文化を支えている現場の保存会の方々は、「人とお金が足りない」と困っているのに、それを解決する仕組みを考え、実行までうつせる機能が大抵ありません。求められているからこそ、しっかり提供できる価値を示せれば、やりがいはものすごく大きいです。
徹生:なるほど、構造や課題が驚くほど似ているんですね。そこからコロナ禍になりお祭りも止まった。
山本さん:はい。当時は仕事がほぼゼロに近くなりました。でも、日本政府公認の祭りやイベントのガイドラインを作ったり、オンラインでの相談支援をしたりとできる限りの支援を続けました。
徹生:そしてあっぱれが立ち上がったんですね。
山本さん:はい。2024年1月に「あっぱれ」という会社を設立しました。 オマツリジャパンで培ってきた無形民俗文化財としての祭り支援のノウハウを、無形文化だけでなく有形文化まで“文化財全般”を支援できるところまで支援をしたいと思ったんです。
文化支援のノウハウを活かし、「あっぱれ」始動
徹生:支援のノウハウというのは具体的にどういうことですか?
山本さん:「ヒト・モノ・カネ」が足りない現場で、伝統文化を継承するために地域で合意形成した中長期のプランを策定し、具体的にアクションしていくローカルプレイヤーを育てていくか。その仕組みをつくることです。たとえば郷土料理や伝統芸能といった無形文化財、伝統工芸やお城・寺社仏閣といった有形文化財――これらが抱える悩みって、本質的にはわりと近いんですよね。あっぱれでは、そういった文化財を次世代に継承するための仕組みづくりに取り組んでいます。たとえば、数万円する文化の本質を生かした祭りの特別体験コンテンツの造成があげられます。こうした特別体験を、ソフト面の整備や企画段階から支援し、オペレーション・プロモーションまで組み上げていきます。最終的には地元で自走できる体制を作る、というのが目指すところです。
徹生:単に保存するだけではないということですね。オマツリジャパンを離れるときに葛藤などはありましたか?
山本さん:「オマツリジャパン」は“祭り専門の支援”、あっぱれは“文化全般支援”と分野は異なるものの、一部フィールドは重なる。そのため、うまく棲み分けができるようには今も意識はしています。実際、祭り関連の仕事は全体の中で2-3割くらいにとどまっています。今では郷土芸能、城、寺社仏閣、伝統工芸、遺跡、住宅、古墳、天然記念物など幅がどんどん広がっています。あとは単純に「文化を正しく理解してビジネスとして支える」プレイヤーがあまりに少ないために、少人数で新たに挑戦することに不安もありましたね。あっぱれは3人でスタートしました。
徹生:あっぱれはSIGHTS KYOTOと同様、業務委託のパートナーさんも多数いますが、熱量の均質性を維持するのは難しくないですか?
山本さん:あっぱれには現在社員4人、業務委託は10人ほどいます。確かに会社としての風土をどう作るかは課題ですね。最近到達した答えは、「自分がやってることが文化にとって“あっぱれ”かどうか」で評価するというシンプルな指針です。 いい仕事をしたら「あっぱれ!」って(笑)悪い仕事でも「喝!」とは言いませんが(笑)、価値判断の軸を明確にしてそれぞれが共感できる価値観をつくることが大事だなと思っています。
文化は“消費されるコンテンツ”にしてはいけない。継承できる仕組みが必要
徹生:「祭り」から「文化財全般」へフィールドが広がったことで、違いや新たに感じたことはありますか?
山本さん:祭りでは祭りだけでなくその地域の文化的な背景や由来などを理解して取り組んできました。祭りって、「ハレの日」と「ケの日」っていう考え方をするんです。僕は、ケの日、つまり準備のための日常の積み重ねの方が大事だと思っています。祭り当日(=ハレの日)だけを見ていてはダメで、地域の習慣や風習、日々の営みをどう理解するかが重要。そういう視点で取り組んできたので、無形文化財に対してあまり違和感はなかったです。でも、有形文化財は注意点が大きく違います。たとえば、祭りでは「地域の名産を出す」みたいなことが普通にビジネスになりますが、お寺で「魚料理を出す」といった組み合わせはNG。マナーや宗教的な配慮も必要になったりします。
徹生:バランスが非常にデリケートですね。 起源まで遡り、郷土料理まで含めて文化を捉えてきたからこそ、いま文化観光事業に取り組まれているんですね。そもそも、山本さんが考える「文化観光」とはどういうものですか?
山本さん:僕が取り組んでいる「文化観光」は、単純に「文化を安心して次世代に継承するため」です。もともと文化財って、地域の方々の中でも名士の方々が大なり小なり投資して継続してきたものがとても多いです。いわゆるパトロンです。どんな文化にもパトロンがいて、でも現代に近づくにつれて名士の方々の数も力も落ちていき、代わりに自治体や国の補助金が入るようになって守るようになった。公共団体が補助金で修繕や保全をするけれど、それだけでは未来につながらない。そして補助金の捻出が難しくなってきている中で、これからは安心して継承していくために自分たちで稼ぐ仕組みをつくらないといけないと考えています。単に稼げれば良いというものではなく、継承のための仕組みが必要になるんですよね。しっかり事業計画を策定して収入を得るために特別体験やツアーの販売、グッズ制作、協賛など、それらを地元で自走できるようにし、PR・販売を行い、文化財への還元まで組み上げるのが文化観光の本質だと思っています。
文化継承に必要なのは“地元で回せる仕組み”と“正しい値付け”
徹生:単純にその文化財を活用するのではなく、仕組みを作る。具体的にどのようなことをするんですか?
山本さん:「100万円の特別体験は無理でも、1万円ならできる」というように、地域が持ちうるリソースの中で再現性が可能な形のすり合わせが必要になると思っています。あるいは観点を変えて、特別な文化体験と地域の課題を結びつけるというのも手だったりします。例えば、祭りの準備タイミングで地元だけでは大変なので、「有料体験でコミュニティに入って手伝ってもらう」というコンテンツを作ることも考えられます。この場合、もともと主催者がお金を払ってアルバイトを集めていたのですが、実は外国人や若者は“お金を払ってでもディープなコミュニティ体験をしたい”というニーズもあったりします。これらを整理してコーディネートすれば、地域で自走していくこともあります。こうした仕組みは、インバウンドの観光文化体験にもつながり、地域ごとに豊かな有形無形の伝統文化があるので、それらを誘客コンテンツとして展開する余地は大きいと思います。
ただし、そこで重要なのが「消費されるコンテンツにしてはならない」ということ。価値を伝え、背景にあるストーリーを届けることが不可欠です。たとえば、岡山の西大寺で行われる西大寺会陽という祭りも、ただ「面白い」「奇祭」で終わってしまうと軽くなってしまいますが、「実は数百年前から続いている」と歴史や想いを丁寧に伝えることで、その価値は一気に変わってきます。大事なのは、“数百年の重み”をどう届けるか。
また、文化観光で必ず出てくるのが、「プライシングが下手問題」です。たとえば、ExpediaなどのOTAでバリのケチャダンス鑑賞体験が5000円で売られていて、レビューも高評価。なのに、「日本の文化体験が500〜1000円で売られている。なぜ?」と。高くすると責任が伴うとか、「お金儲けはしたくない」とか、理由はいろいろあります。でも、それを続けていると、結局補助金頼りから抜け出せない。地元の人たちと一緒に、時間をかけて適切な価値で文化に触れる体験を提供していくこともまた、文化観光の大切な役割の一つだと思っています。
文化の町・京都に身を置き、まちというインフラを構築
徹生:山本さんは、立命館大学時代に京都で過ごされていて、いまSIGHTS KYOTOに登記し、京都に拠点を戻されましたよね。改めて移転のきっかけや、京都への思いについて聞かせてください。
山本さん:東京にかれこれ15年ほど住んでいたんですが、文化的な仕事をするなら、やっぱり文化のメッカである京都にしっかり身を置いて、そこから全国の文化に携わる方々と関わりたいと思ったんです。加えて、ちょうど子どもが生まれたタイミングで、個人的な願望から川沿いで育てたいという理由もあり、家族を持ったタイミングで京都に戻ることにしました。そして偶然、このSIGHTS KYOTOという素晴らしい場所に出会えて、本当に良かったと思っています。
徹生:実は一回オマツリジャパン時代にコワーキングスペースを利用してくださったんですよね。そして2回目に来られたときに「あの時の人や!」ってなってお声掛けさせてもらった。で、実は文化庁が京都に移転するタイミングだから企業としても京都に拠点を構えたいという話をされたんですよね。
山本さん:そう。普通にオフィスを借りるだけじゃ面白くないなと思っていたところで、声をかけていただけたのはありがたかったです。あの時覚えてもらってなかったら、SIGHTS KYOTOに登記することはなかったかもしれません。(笑)
徹生:僕たちも観光に携わる事業をしていますし、共通の知人もいて、いろいろとつながっていますよね。文化観光と観光は密接だと感じています。
山本さん:そうですね。でも僕自身は「観光」というより、「まちづくり」という軸で考えています。盛り上げるだけでなく、文化観光を起点に“流れ”をどう作っていくか、という視点で動いています。
徹生:うちもまさにそうですね。2~3年前は「観光まちづくり」と言っていたんですが、今は「ソサエティの構築」という方向性で事業を進めています。まちづくりっていうと、普通は不動産とかデベロッパーを思い浮かべがちですが、僕らが考えるのは、「自分たちらしいまちづくり」=「ソサエティづくり」。観光って、あくまでその社会を豊かにする手段だと思うんで、その社会の営みそのものを見てもらうことが大事なんだと思います。
山本さん:そうですね。近い考え方だと思います。
徹生:では、残念ながら時間も来てしまったので…。ありがとうございます。まだまだ聞きたいことがたくさんあるので、また1年後ぜひ再対談させてください!
山本さん:ぜひ!






