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受け継ぐだけでは終わらせない——亀岡の石工・斉田隆朗さんが描く、伝統のその先【SIGHTSNESS】

SIGHTS KYOTOの契約企業のメンバーや、SIGHTS KYOTOに関わる方々に向けてお届けする対談企画「SIGHTSNESS」。

第6弾の今回。お話を伺ったのは、亀岡市で代々続く石工の家の五代目として家業を受け継ぎ、新たな挑戦を続ける齋田石材店の斉田隆朗さんです。

伝統工芸士として石工工芸を国内外へ発信する斉田さんですが、その歩みは決して一直線ではありませんでした。夜な夜なバイクを飛ばしていた青春時代、父となり飛び職人として一家を支えた10代~20代、家業への帰還、海外への旅。さまざまな経験を重ねる中で、自らの仕事や地域の価値を見つめ直してきたと言います。

今回、斉田さんをお迎えし、伝統を次の世代へつないでいくこと、石工という仕事の可能性、亀岡という地域への想い、そして未来について、SIGHTS KYOTO代表・西澤徹生がお話を伺いました。

亀岡で四代続く石工の家に生まれて

徹生:斉田さんはずっと亀岡で育ったんですよね。

斉田さん:そうです。生まれも育ちも亀岡です。父親が長男で家業を継いで職人をしていました。長机に僕と弟2人、父と母、祖母が座って、母の隣には炊飯器があるというような本当に昔ながらの昭和の家庭でしたね。職人気質の厳格な父で、空手も有段者。道場も持っていました。地域活動とかに積極的に出るタイプでもなくて、ずっと仕事場で石と向き合っているような人でした。あまりしゃべらないけれど、怒る時は怒る。普通に叩かれることもありました。今振り返ると、それが良かった部分もあるんでしょうけど、当時は反発していましたね。

徹生:その反発が、いわゆるヤンキー時代につながっていくんですね。

斉田さん:グレ出したのは中学二年ぐらいで、父親への反発もありましたが、周りの環境も大きかった。当時周囲にヤンキーが多かったんですよ。先輩もそうでしたし、母親側の親戚も気の荒い人が多かった。おじさんも怖かったし、いとこの兄ちゃんたちもヤンキーでした。小さい頃からそういう人たちを見て育っていたので、自然とそっちへ。

学校をさぼったり、授業を抜けて体育館裏でたばこを吸ったり、バイクを盗んで捕まったり。今思うと、本当に典型的な中学ヤンキーですね(笑) 警察にもよくお世話になりました。担当の警察官とも顔なじみになっていて、たまに電話がかかってくるぐらいでした(笑)

徹生:卒業後はそのまま暴走族に?

斉田さん:そうですね。たまり場の先輩たちから「お前も乗るか」みたいな流れで誘われた感じですね。その頃は本当に自然でした。祭や花火大会になると、みんな特攻服を着て集まるんです。僕らも先輩たちの姿を見て育っていたから、同じように集まっていました。喧嘩というより、一緒に走ろうみたいな感じ。今思うと可愛いもんですよ(笑)

徹生:高校には進学されなかったんですよね。

斉田さん:一応受験はしたんですよ。でも内申点が足りないので受けられる学校が限られていました。南丹高校を受けたんですけど、友達三人と一緒に揃って落ちました(笑)

その後、京都駅近くの専門学校へ入りました。高校卒業資格も取れるような学校やったんですけど、一学期ぐらいでやめました。

父となり飛び職人になった18歳

徹生:そこから仕事の世界に入るんですね。

斉田さん:ちょうどその頃に今の奥さんとの間に子どもができたんです。だから働こうかって。

徹生:お子さん、もう30歳ですか。大きいんですね。

斉田さん:そうなんです。子どもが子ども産んだみたいな感じで。でも仕事はちゃんとしようと思って。その頃のヤンキーは飛び職に就く人が多くて、僕もその流れで飛びの世界へ入りました。昼は飛び職人で、夜は仲間と遊ぶような生活でしたね。ただ、子どもができたことで、一応暴走族は引退しました。

徹生:かなり若い頃から家庭を支えていたんですね。

斉田さん:そうですね。ちゃんと働かなあかんとは思っていました。でも18歳ですからね。若いなりにとにかく働いて、家族を養うことに必死だったと思います。

徹生:そこから家業である石工の仕事へ戻るきっかけは何だったんですか。

斉田さん:奥さんの一言ですね。「長男なんやし、継ぐんやったら早い方がいいんちゃう」って。

当時は石工という仕事に特別な思いがあったわけではないんです。子どもの頃から見ていた仕事だし、石があって職人さんがいて、それが当たり前でしたから。でも長男だし、一回ちゃんとやってみようかなと思ったんです。20歳ぐらいの頃でした。

実家に戻り、はなれで住むようになりました。収入はかなり減りましたが、家があるので暮らしてはいけました。丁稚奉公のように働くスタイルです。最初の数年は、本当にひたすら仕事を覚える毎日でしたね。

サーフィンと旅が価値観を変えた

斉田さん:その頃、サーフィンと出会いました。20代前半やし、モテたいなぐらいの軽い感じで始めたんです(笑) でも10年くらい続けていくうちに、価値観が変わっていきました。アンコントロールな自然を偉大だと思うようになったし、旅も好きになった。

インドネシアのバリ島にも何度も行きました。サーフィンだけじゃなくて、バイクを借りて山の方へ行ったり、コーヒー農園を見に行ったり。そういう時間がすごく面白かったんです。そして現地で石を使った彫刻を見た時に、初めて思いました。「あ、自分がやっている仕事って、実はすごい価値のあることなんやな」って。日本の伝統工芸であり、特殊で、特別な仕事なんやなって。海外へ行ったからこそ、自分の仕事の価値に気付けたんだと思います。

徹生:海外へ行くようになって、仕事に対する見方も変わったんですね。

海外への挑戦

徹生:海外とのつながりは、どうやって始まったんですか。

斉田さん:2005年か2006年ぐらいですね。その頃デジタルに関心があって、会社でもパソコンを入れてホームページを作ったんですよ。今は当たり前ですけど、その頃は石屋でホームページを持ってるところなんてほとんどなかったと思います。そしたらイタリアから問い合わせが来たんです。実際には予算の関係もあって仕事にはならなかったんですけど、それよりも、イタリアの人が亀岡の石屋を見つけて連絡してくれたことが嬉しかったんですよ。その方は南イタリアのプーリア出身の女性だったんですけど、翌年、僕も会いに行ってみようと思ったんです。当時29歳か30歳ぐらいでした。それがきっかけで今でも家族ぐるみのお付き合いをしています。

20代のうちに一人旅をしたいという思いもあったし、父親と妻に無理を言って2週間ほどイタリアのプーリアとローマへ行かせてもらいました。

徹生:それが海外展開のきっかけだったんですね。

斉田さん:そうですね。それまでローマとかニューヨークなんて、映画の中の世界やと思っていました。でも実際に行ってみたら、「別に行けるやん」と思った。だったら、自分の仕事でも何かできるんじゃないか。何をするかは全然決まってなかったんですけど、とにかく海外で何かやりたいと思うようになりました。

そこで友人に相談したりしているうちに、日本語学校やギャラリーを紹介してもらったり、人とのつながりが少しずつ広がっていったんです。振り返ると、その頃から今につながる流れが始まっていたんだと思います。

徹生:旅が好きというのが大きいんでしょうね。僕らが以前斉田さんの工房やご近所の仲間をご案内いただいたときに、もてなしていただいたのを思い出しました。

斉田さん:現地の人が温かく迎えてくれたり、亀岡まで来てくれたりという人との温かいつながりに、恩返ししたいなと思いますね。

徹生:SIGHTSでも大事にしている「皆でウェルカミングする」みたいな部分と共通するように思います。

「売る」より先に、「伝える」ことが必要だった

徹生:海外で活動する中で、どんなことを感じましたか。

斉田さん:実際に行ってみると、日本文化や職人仕事に対する興味はすごくあるんですよ。一方で、僕らが当たり前に知っていることを誰も知らない。そこに大きな壁があることにも気付きました。

例えばアメリカの日本庭園なんかへ行くと、本当に日本文化が好きな人たちがたくさんいるんです。Well-beingの場としての日本庭園も研究されています。日本祭には何万人も来るし、車で一時間以上かけて家族で来る人もいる。

入場料も日本よりずっと高いのに、それでも人が集まるんですよ。でも陳列されているものを見ると、全部が日本製というわけではない。

「これだけ日本が好きな人がいるのに、なぜ本物が届いていないんやろう」と思ったんです。

だから僕は、まず売ることよりも伝えることが大事だと思いました。

職人が実際に道具を持って、石を叩いて、どうやって作るのかを見てもらう。その技術や歴史、背景を知ってもらう。そういう活動を続けていったんです。

シカゴへ行った時に、郊外にあるアンダーソン日本庭園を訪れたんです。アメリカの街並みの中に、突然、本当に質の高い日本庭園が現れるんですよ。それを見た時に感動しました。しかも現地の人たちが本当に日本文化を大切にしているんです。太鼓や茶道、生け花を学んでいる人もいる。

そんな場所で、「職人が来てワークショップをしたら面白いんじゃないか」という話になったんです。そこで、石を割る体験やデモンストレーション、レクチャーなどを始めました。どういう道具を使い、なぜ灯籠が生まれたのかという歴史背景も伝えていったんです。シカゴだけじゃなく、フロリダやカリフォルニアにも広がっていきました。

最初は補助金を活用しながらでしたけど、少しずつつながりが増えていって、やがて現地の庭園側が予算を組んで招待してくれるようになったんです。

石の力を、世界は知っている

徹生:最近ルーブル美術館や大英博物館に行き、いろんな作品を見ました。もちろん絵画も素晴らしいんですけど、やっぱり石の彫刻には圧倒されるんですよ。あの迫力はすごいです。

斉田さん:僕はよく「石って何ですか」と聞かれるんですけど、石って地球そのものやと思うんです。植物も土も、全部その上に成り立っている。だから石には独特の力があるんですよね。この前、石を割るワークショップをした時も、息子が割れた断面を見ながら、「この石、何億年ぶりに空気に触れたんやろ」みたいなことを言ったんです。それを聞いて、やっぱり石には人を惹きつける力があると思いました。

工芸ではなく職人のファンを作る

徹生:海外での活動を続ける中で、日本との違いを感じることもありましたか。

斉田さん:ありました。アメリカは寄付文化が根付いているんですよ。稼いだお金を寄付に使うという。だから、僕らの活動も、寄付を募っています。

また、人に対しての思いやりのようなものも、アメリカのほうが強いんじゃないかという気がします。

徹生:わかります。物が売れるだけじゃなくて、その人と喋った上で買ってもらうことが嬉しいじゃないですか。 「人の顔が見えるやりとり」みたいなものが大事なんだなと思ってます。 旅に行って新しいつながりや気づき、刺激をもらえることが、旅の良さ

だと思いますが、斉田さんはまさにそれを実践してらっしゃる。ビジネスとは言いながら、なんか旅をしてる感じがすごいありますね。僕らも旅をビジネスにしているなかで、やっぱり学びとか気づきとかつながりとかを得てほしい。今の時代は写真を撮ることが目的になりすぎてるので、そういう旅ができる時代に変えていきたいなと思っています。

斉田さん:また、職人に対してのファンを作っていきたいとも思うんです。工芸のなかには、分業制などであまり職人が注目されない部分もありますが、やはり職人が前に出て、使う人と喋って、ファンになって、工芸が生まれていくっていう流れがいいのかなと思う。

アメリカは歴史が浅いので100年伝統が続いていること自体にリスペクトがあります。歴史の古いイタリア、特にローマでは、逆に修復がメインとなり作り手が少ないため、職人へのリスペクトがあります。歴史があり、今でも職人がいる日本の伝統工芸の職人はリスペクトされるんです。

徹生:それは海外で活動したからこそ見えた部分かもしれませんね。このような活動はまた、息子さんの世代にもつながっていく話ですよね。

斉田さん:はい。僕が一番思っているのは、技術だけ残しても意味がないということなんです。伝統工芸って技術を覚えるのに何年もかかります。でも、作れるようになった時に売る場所がなかったらどうするんだと。それは大人として無責任だと思う。だから僕は、技術だけじゃなくて、職人が食べていける環境まで作って次の世代へ渡したいんです

徹生:これからの目標を教えてください。

斉田さん:僕は亀岡で生まれて、亀岡で育って、ずっと亀岡で生きてきました。若い頃はいろんな人に迷惑もかけてきたけれど、地元の消防団に入ったりして受け入れてもらっています。今は、亀岡という町をよくしたいという思いを持つようになってきました。うちだけ来てくれたらいいんじゃなくて、亀岡全体を見てもらいたいなと思います

徹生:最後に、SIGHTSについて感じておられることがあれば伺えますか?

斉田さん:初めて来た人は、ぱっと見たらバーやパブのような場所に見えると思うんです。でも実際はそれだけじゃないんですよね。ここを通じて人と人がつながったり、新しいことが生まれたりする。そんな場所やと思っています。「ここへ来たら何か面白い出会いがあるかもしれない」と思える場所というか。いろんな人がいて、いろんな話があって、その中から自然とご縁が生まれている印象があります。

徹生:ありがとうございます。おっしゃる通り、そこを大切にしています。マッチングアプリなんかで、今は何でも効率的に人とつながれる時代ですけど、SIGHTSはそういう便利さとは少し違う出会いというか。偶発性を大切にしています。

斉田さん:スタッフの皆さんも、ただお店を運営する人ではなくて、名前覚えてくれて、人と人をつなぐ存在なんですよね。誰がどんなことをしている人なのかを自然に紹介してくれたり、会話のきっかけをつくってくれたりするし。だから一人で来ても気が付けば新しい人と知り合っている。人と人との出会いを大切に育てている場所だと感じています。

徹生:ありがとうございます。そう言ってもらえて本当に嬉しいです!亀岡や斉田さんたちの魅力を、亀岡ナイトなどを通して、SIGHTSからももっと伝えていきたいです。

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