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2022.11.16
熱い想いと丁寧な造りから生まれる究極の味…日本酒「蒼空」藤岡酒造で蔵見学【神田が行く!】

どうも、奈月です☽

本日は、大好評『神田が行く!』第五回!

 

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『神田が行く!』とは・・
SIGHTS KYOTOのマネージャーかんちゃんが、SIGHTSに関わる京都の方や企業さんを訪れて実際に体験し、お話を伺うことで”理解を深めよう!”という企画です。
SIGHTS KYOTOのバーや物販では、京都の素晴らしい商品を使わせていただいています。ですが!まずはSIGHTSの顔であるかんちゃんが勉強しないことには、お客様にもその魅力をしっかりお伝えできません。。
だから神田は行くんです!どこまででも!
時には京都の外にまで出て行ってしまうかも…?
体験者かんちゃん、ライター奈月、ボイスレコーダー西澤の3名体制でお送りします!

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京都伏見のまち。
先日アップしたクラフトビール醸造所「家守堂」さんのあとは、私たちも大好きな日本酒『蒼空』をつくっていらっしゃる藤岡酒造さんの蔵見学へお邪魔させていただきました!

家守堂さんの記事はこちら☟

水と酒のまち・京都伏見でクラフトビール醸造所見学!家守堂【神田が行く!】

 

クラフトビールからの日本酒のハシゴ…さすが伏見。贅沢です。
果たして、私たちはベロベロにならず無事にSIGHTS KYOTOへ戻れるのでしょうか!?

 

神田、いざ酒づくりの地へ!

 

立派な門構え…!
杉玉の上、ど真ん中に佇む鍾馗(しょうき)さんも心なしか他で見るよりかっこいい。

左側の赤レンガ造りの建物が酒蔵、右側の建物はガラス越しに仕込み蔵を見ながら利き酒が楽しめるバーを備えたお酒の販売所です。

 

かんちゃん 「こんにちは~。おじゃまします!」

 

お店の2階へ上がると、屋根裏を改装したお部屋が。
まずはこちらで藤岡酒造株式会社 五代蔵元の藤岡正章さんによる座学を受け、そのあと蔵見学をさせていただきました。

蔵見学の様子とともに、藤岡さんとかんちゃんの会話をお楽しみください!

 

神田、藤岡酒造を学ぶ!

明治35年10月に京都市東山区にて酒造業を始められた藤岡酒造さん。
大正7年から伏見の現在の場所で製造するようになり、最盛期には年間に八千石(一升瓶80万本分…)ほどのお酒を製造されていたそうです。

そのころはお酒のラベルに”伏見”と書いていれば売れる時代…
同じ関西で有名な兵庫県、灘のお酒は男酒。伏見のお酒は女酒と言われていて、柔らかい口当たりの優しい味が特徴的です。

お酒づくりに実際に使用されるお水をいただきながら、社長である五代蔵元 藤岡正章さんのお話を聴かせていただきました。
かんちゃん、しっかりメモをとりながら勉強しております!

 

藤岡酒造さん、実は一度お酒づくりをやめておられました。

藤岡さんのお父さまである3代目が56歳という若さで急逝され、それまでずっと専業主婦だったお母さまが突然4代目に。
翌年には阪神淡路大震災の被害で傾いた古い木造の蔵を解体することになり、平成7年に廃業することとなったのだそうです。

藤岡さんは家業を継ぐことなく、東京でサラリーマンに。
と言っても業界から離れていた訳ではなく、酒問屋で働き、蔵の外からお酒の流通に携わっていらっしゃいました。

そのころ、日本酒業界では『家庭であまり日本酒が飲まれなくなったこと』や『つくり手の減少』などの問題があったそうですが、東京農業大学で共に醸造を学んだ先輩・後輩や同級生たちはそれぞれの家の蔵で、自分の手でお酒をつくっていました。
そんな活躍を雑誌やテレビで目にするたびにうらやましい気持ちになり、「父親さえ生きていたら、いまごろ自分もお酒づくりをしていたのかな…」という想いが頭から離れなかったんだそうです。

このお話をされているときの藤岡さんの表情には、当時の悔しさがそのまま表れているように感じました…。

廃業前、最後に口にしたお酒の味が忘れられず・・『やっぱり自分も酒づくりをしたい』と強く思い、3年間地方の酒蔵現場で修業を重ねて平成14年に京都へ戻ってこられました。
敷地に残っていた倉庫を酒蔵に改装して、なんとか藤岡酒造のお酒づくりを再開されたのです。

 

『蒼空』というお酒に込められた想いとは

藤岡さん 「自分がつくりたいお酒と、父親がつくっていたお酒は方向性が違いました。だからお酒の名前も昔とは変えることにしたんです。自分がつくりたかったのは、華やかで派手なお酒ではない。青空を見上げたときのように、飲んだらホッとできるようなお酒をつくりたい。そんな想いから、『蒼空(そうくう)』という名前に決めました。」

かんちゃん 「具体的に、お父さまと藤岡さんのつくるお酒の方向性の違いとはどのようなものだったのですか?」

藤岡さん 「父親はいわゆる”普通酒”をつくっていました。普通酒は、できたお酒に後からアルコールを足すんです。そうすると香りは華やかになるんですが、どうも僕は醸造用アルコールの香りに違和感をもっていて・・。」

かんちゃん 「そこで、藤岡さんの代からは純米酒だけに特化されている、と?」

藤岡さん 「そうです。たとえば何店舗も経営しているラーメン屋さんであれば醤油味、塩味・・といろんな味を用意しないといけないかもしれませんが、自分は例えるならたった1軒、カウンター4席のラーメン屋。それなら好きな味だけつくったらいい。醤油味やったら醤油味だけでいい、とそんな気持ちで純米酒に特化することにしました。」

 

純米酒から純米大吟醸酒まですべて同じ手のかけ方で、すべて手づくりにて製造

 

白衣に着替えて見学中のかんちゃん

 

目指すのは、”忘れられない”あの味

かんちゃん 「お父さまが亡くなられて、震災で傾いた蔵も解体されて廃業・・と、そんな中またご自身で一からお酒づくりを再開されたというバイタリティがすごいです・・。」

藤岡さん 「一度廃業するとき、最後に口にしたお酒の味が忘れられなくてね。その味があったから、なんとかお酒づくりを再開したいと強く思ったんです。」

かんちゃん 「”忘れられない味”・・それはどんな味だったんですか?」

藤岡さん 「毎年お酒づくりの季節に地方から農家さんに来てもらって、お酒をつくってもらっていました。だいたい多くの杜氏さんは全国新酒鑑評会で金賞をとることを重視していて、コンクール用のお酒以外のお酒づくりには気が回っていないというか・・正直言うと、金賞を狙ってつくったお酒以外はあんまり美味しくなかったんです。そのころ、友達とそれぞれ自分の蔵のお酒を持ち寄って飲むこともあったんですけど、『うちのお酒、あんまり美味しくないな…』と感じていました。

廃業前、最後のお酒づくりの年は母親が杜氏を変えて、但馬から来てもらったんです。すると、その杜氏さんがつくったお酒がビックリするぐらい美味しかった。お酒づくりに使う水、米、設備は全部それまでと同じなんですよ。違ったのは、つくる人だけ。『うちの蔵でも、つくり手がしっかりしていたらこんなに美味しいお酒がつくれるんや。』と、衝撃でした。廃業してからもそのお酒の味が忘れられなくて、『うちでも美味しいお酒がつくれるのに・・』と悔しい気持ちがずっと頭にあったんです。あの味に出会っていなければ、自分の蔵に自信が持てなかった。」

かんちゃん 「はぁ~・・。お母さまが最後の年に杜氏さんを変える決断をされていなかったら、藤岡酒造さんはもうお酒づくりを再開しないままだったかもしれないんですね・・。」

藤岡さん 「そう思います。ほんとにすごいお酒でした。私はいまでも、”あの味”を目指して一生懸命お酒づくりをしています。」

 

わずかな量を、時間をかけて丁寧に手づくり

 

これでお酒を搾りだす!

 

スタートは、いつも理想から

かんちゃん 「藤岡さんが自ら杜氏となって丁寧につくられている蒼空は、味や品質の良さはもちろんのこと、他の日本酒では見ないような瓶の形やサイズ感も印象的ですよね。」

藤岡さん 「僕の夢は、『家庭の冷蔵庫に日本酒を』なんです。昔はもっと普段の生活に身近なものでしたが、今の時代、冷蔵庫に缶ビールはあってもなかなか日本酒は置いていない。蒼空の瓶は、イタリアのベネチアのガラス工房で生産されている無色透明の瓶。夫婦2人で飲み切れる量で、冷蔵庫のポケットに納まるサイズにしたいなと思ってサイズは小さめの500mlです。僕の代の酒づくりを始めたのは20年前ですが、そのときからこのサイズです。」

かんちゃん 「たしかに日本酒って少しハードルが高いというか・・私たちのような20代は特に手をだしにくいです。」

藤岡さん 「うちの蔵ではわずかな量を、時間をかけてつくっているので、どうしても他のお酒と比べたときに高く感じます。昔だったら値段が最優先されていたので難しかったかもしれませんが、今は自分で情報を発信できる時代。多少高くても、そこに価値を感じればお金をだす、という方が増えたかなと思います。大手さんからは日本酒に限らず若者向けのお酒も多く販売されていますけど、うちの製造量であれば、”ある程度美味しいものが分かるかっこいい大人が嗜むお酒”というポジションでいいかな。」

かんちゃん 「自分も30代になったら嗜んでいたいな~。(笑) それでも藤岡酒造さんは蔵に併設する形で販売所もありますし、酒蔵の様子をガラス越しに見ながら出来立てのお酒を楽しめるバー『酒蔵Bar えん』もあって、お客さんに寄り添っていらっしゃるなぁと思います。」

 

「酒蔵Bar えん」のカウンターから見えるタンク

 

藤岡さん 「日本酒業界の問題点として、新規参入がなかなかない。つまり昔から代々続いているところが多いので、昔ながらのやり方ばかり、ということがあったんです。僕の場合は父親が亡くなって一度廃業していたことである意味、新規参入のようなスタートが切れた。うちの長所は、『すべて理想からスタートできる』ことやと思います。瓶のサイズやパッケージ、酒蔵Barも、自分の判断でできる状況だったことは大きいですね。」

かんちゃん 「なるほど・・!それ深いです。メモメモ・・」

藤岡さん 「と言いながら、酒づくり2年目にすぐ一升瓶もつくったんですけどね。」

かんちゃん 「ほんまや!!うちにもがっつり置いてますよ!!」

藤岡さん 「ある名古屋の蔵に行ったときに、『三方よし』という言葉を教えてもらいまして・・(笑) やっぱり飲食店からすると500mlのサイズは取り扱いにくいですよね。一杯あたり割高になってしまうし。今も自社の販売所やオンラインショップでは一升瓶の販売はしていないですけど、酒屋さんや飲食店のことを考えるとやっぱり必要なので・・『三方よし』の言葉を胸に。(笑)」

かんちゃん 「理想からスタートしても、どうしても現実とすり合わせしないといけないこともありますもんね。」

藤岡さん 「そうなんですよ。20年間で唯一、現実とすり合わせたのが一升瓶をつくったことかな。いつかそのときがくるとは思っていたけど、まさか2年目に名古屋で現実に遭遇するとは思っていませんでした。(笑)」

 

最後はちゃっかり飲み比べを楽しみました

 

藤岡さんの言葉で私たちの印象に深く残っているのが、

『よい酒は必ずや天に通じ人に通じる』

いいものをしっかり丁寧につくっていれば、必ずそれが分かる人には伝わる・・ということを私たちも常々想いながら過ごしているのでとても共感しました。
いやぁぁぁぁ~、ええ言葉です。深い。

ここまで人気のお酒になった今でも、生産量を拡大するのではなく、とことんまで品質向上に努める藤岡さんの姿勢にも尊敬と共感の気持ちでいっぱいです。だから私たちは、蒼空が好きなんです・・!

 

普段あまり日本酒を飲まないのに、「美味しい!」と言ってすぐに飲み干していたかんちゃん。

最後に感想を聞いてみましょう。

 

 

とても気さくで、日本酒愛に溢れた藤岡さん。
藤岡酒造の代表であり、杜氏でもある藤岡さんご本人から蔵の歴史や日本酒に対する想いを聞けるなんて、本当に贅沢な時間を過ごさせていただきました。
私の質問に対してめちゃくちゃ素敵な表情で答えてくださるのがとても印象的で、言葉ひとつひとつが心に沁みました。

蔵見学をしながら製造工程を聞いていると、私が想像していたよりも手作業がめっちゃ多い!お酒づくりの大変さを知りました。藤岡さんが「使う水や米、設備は全部同じでも杜氏が違うと味が変わる」とおっしゃっていたとき、「え~なんでや?そんなに違うもんなんかな?」と心の中で疑問に思いましたが、実際に蔵を見学させてもらったら納得!
藤岡さんによる座学と蔵見学を経てバーでいただく蒼空は、そりゃぁもう…美味しかったです。

本当に貴重な経験をさせていただきました!!藤岡さん、この度はどうもありがとうございました!

 

■京都伏見の手造り日本酒 純米酒「蒼空」醸造元 藤岡酒造株式会社
https://www.sookuu.net/

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